着物の雑学⑤
その他<2>
和風のコートハンガー「衣桁(いこう)」
平安時代のころから、きものは衣桁という鳥居形の道具に掛け、風に当てて汗を乾かしていました。そしてきものの下から香を焚きこめたりもしていました。書物「類聚雑要抄」によると、棹は漆塗りで、上等なものには蒔絵が施されたり、両端に金銅の装飾金具が付けられていたようです。この衣桁は実用だけでなく、華やかな衣装を掛けて室内を飾るインテリアとしても使われていました。かつて、人々はお気に入りのきものを衣桁にかけてうっとりと眺め暮らしていたのでしょう。
アロハシャツ
カラフルな色づかいとトロピカルな絵柄が特徴のアロハシャツ。アメリカ本土からハワイに上陸した開拓者たちが「動きやすく涼しい」と19世紀初め頃に持ち込んだシャツがその原型ですが、当時は無地のものが主流でした。その後、日本や中国からの移民たちが、持ち込んだ着物や チャイナドレスをリメイクしてシャツを作るようになり、現在のスタイルが定着しました。日本ではカジュアルな印象の強いアロハシャツですが、ハワイでは男性の正装とされています。下着などは着けず、裾はズボンの外に出したままにするのが正式な着方です。
故郷へ錦を飾る
錦とは、金銀を含む色糸を使って織った高級な絹織物のこと。 よれよれの着古した着物で故郷を離れ、都会で一生懸命頑張って働いた結果、立派な着物を着られるようになって帰郷することから「故郷へ錦を飾る」というようになりました。 実際に錦や金銀財宝などでキラキラに飾り立てるわけではなく、仕事などで大きな成功をおさめて堂々と故郷へ帰ることを意味します。
伊達の薄着
たくさん着こんで格好悪くなることを嫌がり、寒くても我慢して薄着でいることを「伊達の薄着」といいますが、きもので使う伊達衿や伊達締めは見えないところの美しさ、隠れたところで力を発揮してくれるものです。伊達締めはきものと長襦袢の衿合わせがくずれないよう、止めておくもの。伊達衿は衿を華やかに、おしゃれとして色合わせを楽しみます。「伊達」という言葉は、仙台藩の人々が藩祖の伊達政宗にならって派手な振る舞いや格好をしたことが語源とか。
要領
「要」はもともと「腰」を表した象形文字でした。特に、女性のふくよかな腰を指しました。そして、「領」は襟首のこと。つまり、腰と首、大切な部分を意味します。転じて、物事の基本となる最も重要な部分という意味で使われます。きものを持つ時でも、腰と襟を持つため、主だったところを指すようになりました。「要領がいい」とは、大事なところを心得ていること、また「要領を得ない」は、大切なところが聞いている人に分かりにくいという意味で使われます。
懐が深い
懐とは、きものの胸の内側のこと。転じて周りを山などに囲まれた奥深い場所、外界から隔てられた安心できる場所、また胸の内の考えという意味でも使われます。もともと「懐が深い」は、相撲で使われていた言葉でした。二人の力士が両手を差し合って四つに組んだとき、まわしまでの距離が遠いことをいい、奥が深いことから、おおらかで包容力があるという意味に使われるようになりました。
お仕着(しき)せ
平安時代、奉公人に服装の自由がなく、好みや希望に関係なく主人から支給されたおそろいの衣服を着ていました。これが「お仕着せ」でした。江戸時代になると、丁稚(でっち:職人や商家などで雑用や使い走りなどをする少年)は麻か木綿のお仕着せで、主人から与えられる食事は「お仕着せ飯」といいました。今でも会社などで決められた制服のことを呼ぶこともあります。また、そこから転じて型どおりのものや上から一方的に与えられた仕事や役目のことを指します。
つつましい
「包む」と語源が同じで、遠慮深く物静か、控えめ、贅沢でなく質素という意味で使われます。きものは全身をすっぽりと包むため、むき出しの心を覆い謙虚な心を育みます。だからこそ、かつて日本では自己主張を避け、相手を尊重する礼儀作法の習慣を身につけたのです。きものを作り、着こなす技術は日本人に礼の知恵を教えてきたのです。
裁縫
「裁」という漢字は文字の中に「衣」が入っています。もともとは、衣(布)を断ち切るという意味でした。ここから転じて、善悪を判断して決める、切り盛りするなどに使われるようになりました。裁量、決裁などの言葉はここから生まれています。そして、布地を裁って縫い合わせることは「裁縫」といわれるようになったのです。
得体が知れない
正体がつかめないもの、様子がうかがいにくいもののことを「得体が知れない」といいます。もともと、得体は「衣体」と書き、身なりや服装のことでした。僧侶や官吏は着るものの色や形によって階級や身分が識別できたのですが、破門されたり飛び出してきた者は、はっきりした色の着ておらず、階級や身分が識別できなかったことによります。
しみったれ
自分の着物にしみがついていても、処置をせず放ったらかしにする人のことを「しみったれ」といいました。そこから、自分の負担を軽くすることばかりを考えている人のことをいうようになりました。現在では、物惜しみする、ケチケチしているなど、「金に細かいしみったれなやつ」といった使い方をします。
被く(かずく)
頭の上から覆う、かぶることをいいます。また、ご褒美に衣服を貴人から頂戴する、それを肩にかける意味で使っていました。そこから派生して、損害や負担などを引き受ける、しょい込む、また騙されるという意味で使うようになり、「かつぐ」ともいいます。
風呂敷
足利義満が大湯殿を建てた際、大名たちが他の人と衣服を間違えないよう家紋入りの絹布に脱いだ衣服を包み、湯上りに広げて絹布の上で身づくろいをしたという記録があり、風呂場で敷いて使ったことから「風呂敷」と呼ばれるようになりました。江戸時代以降は、物を包む布一般を「風呂敷」というようになりました。
助手席
車の運転席の隣を「助手席」といいますが、もともとはタクシーの業界用語でした。街中を走る車といえば人力車が主流だった大正時代、当時のタクシーは外車で車高が高く、お客さんは着物姿でした。乗り降りにサポートが必要で、運転手の隣には乗り降りを助ける「助手さん」が同乗するのが常でした。昭和に入り、助手が乗る習慣はなくなってしまいましたが、助手さんが座った席ということで「助手席」という言葉だけが今でも残っています。
ぱりっと
態度や身なりがきちんとしている様を「ぱりっと」といいます。
江戸時代から使われていた言葉で、「立派」の倒語ともいわれていますが、着物文化から生まれた言葉です。衣服を洗濯する際、洗濯糊を使用してから乾燥させ、衿や袷を固めて立たせると「パリッ」とします。語感が良かったことも、言葉が普及することに一役を買ったのでした。
二束三文
数が多いものの、ただ同然の安値しかつかないことをいいます。ほとんど利益のない状態で売る時の値段。江戸時代の初めごろ、金剛草履というわらじが二束で三文の値段で売られていたことに由来するともいわれ、「三文」という言葉も、実際にその金額で売られていたわけではなく「三文判」のように安いことを表したものと考えられています。
ぐる
示し合わせて悪事を企てる仲間や共謀者のことを「ぐる」といいます。英語のグループ(group)が語源だと思われがちですが、諸説ある中で比較的有力なものが、着物の帯のイメージから連想されたとする説です。江戸時代、着物の帯を「ぐる」と呼び、同じ輪の中に入る意味で共謀者を「ぐる」と呼ぶようになったと考えられています。
もぬけの殻
十二単とは俗称で、正式には「五衣唐衣裳(いつつぎぬ からぎぬ も)」といいます。裳は十二単の後ろの長い白い部分のことで、この裳から抜け出すことを裳抜けといい、もぬけの殻の語源と伝えられています。現在では、人が抜け出た後の寝床や住居のこと、またヘビやセミが成長の途中で変化し、脱皮した後の抜け殻のことを「もぬけの殻」と使います。
約
「糸」と締めつけるという意味の「勺(しゃく)」が組み合わさってできた「約」という言葉には、糸で縛るという意味があります。そこから派生して、結ぶ、まとめる、簡単にするという意味で使われるようになりました。
暖簾(のれん)が古い
簾(すだれ)を重ねて暖をとろうと、禅寺の入口に布をかけたことが「暖簾」の始まりでした。もともと、防寒のためであったのです。そのうち、商店の軒先にかけて日をよける役割をするようになり、商標や屋号を入れて看板も兼ねるようになりました。
室内では目隠しや間仕切り、そして装飾用にも使われますが、年月を経た暖簾は店の格式や信用につながり、店の歴史が長いことを「暖簾が古い」というようになりました。
一旗揚げる
かつて武士は手柄を立てるべく、家紋などがついた旗を掲げ戦場に赴いたことから、何か際立ったことをすることを「一旗揚げる」というようになりました。一旗(ひとはた)とは1本の旗のこと。現在は、地位や財産を得るために新しく事業などを立ち上げることをいいます。
扇
あおいで風をおこすため、動詞の「あふぐ(煽ぐ)」が名詞化し、現代仮名づかいで「おうぎ」が使われるようになりました。扇子ともいい、涼をとるため、儀礼用にも使われ、和装の正装には吉凶を問わず使われます。金色に塗られたものを婚礼の際、花嫁が持つのは、金色には破魔除災の力があるとされているためです。
紋切り型
紋を切り抜くための型を「紋切り型」といいました。近世頃は、決まりきったやり方のことを指して使われていましたが、時代が下がるにつれて、融通が利かない、平凡でつまらないなどのニュアンスで使われることが多くなりました。
如月(きさらぎ)
寒さで着物を更に重ねて着ることから「着更着(きさらぎ)」と呼ばれるようになったという説が有力です。その他、気候が陽気になるため「気更来」「息更来」、また草木が生え始める月で「生更木」とする説などがあります。
十八番(おはこ)
7代目市川團十郎が幕末に家代々の役者たちが得意だった芸18作品を選び、「歌舞伎十八番」と名付けたことに由来します。ここから、得意とする芸という意味で使われるようになりました。本来は、「じゅうはちばん」と読んでいましたが、この歌舞伎十八番の台本を箱に入れて大切に保管していたことから「おはこ」と読むようになったという説もあります。
ジンベエザメ
世界で一番の大きさを誇る魚類、ジンベエザメはサメの仲間です。体の背面にたくさんの斑点があり、着物の甚兵衛羽織に似ている、また魚の形が甚兵衛羽織を着た姿に似ていることから「ジンベエザメ」と呼ばれるようになったといわれています。サメの仲間というと、凶暴なイメージがありますが、ジンベエザメはとてもおとなしく、小型のプランクトンなどを主食とし、人を襲うことはありません。
巾着
「巾」は布切れを意味し、頭巾(被り物)・布巾(食器類をふく布)などに使われます。巾着は、肌身に着けて携帯する布切れなので「巾着」といわれるようになりました。火打ち道具を入れていた火打ち袋から派生したもので、金銭やお守り、薬、印章などを入れていました。江戸時代には巾着師が革や高級織物などで作ったこともありましたが、洋服が着られるようになると、財布やがま口が主流となりました。
襤褸(ぼろ)が出る
襤褸は使い古した布、着古した衣服のことで人には見せたくないものであることのたとえ。ひどく傷んでいることをいう「ぼろぼろ」が元の語源ともいわれています。転じて、隠していた欠点や短所が見えてしまうことをいうようになりました。しゃべりすぎて襤褸が出てしまった…などと使います。
粉飾
おしろいや紅で化粧をして、美しく装い飾ること。そこから転じて、うわべを取り繕って立派に見せかける、実状を隠して見かけを良くすることをいうようになりました。会社が不正な意図で経営成績や財政状態を実際より過大または過小にするなどの操作を加えた決算を「粉飾決算」といいます。
懐を痛める
懐とは、着物の胸の部分の内側のこと。懐を痛めるのは、自分の持ち金を使うことで、「自腹を切る」と同じ意味で使われます。
袋叩き
一人を多人数で取り囲んでさんざんに叩くことから、大勢の人からさんざんに非難されることをいうようになりました。「袋叩きにあう」などと使います。
煙幕を張る
戦闘の際、幕のように広く煙を放散させて味方の姿や行動などを隠したことから、言葉巧みに言いなして本当のことを他人に知られないようにするという意味で使われるようになりました。
枕を結ぶ
草を結びあわせて枕とする。つまり、野宿をすること。