宇都宮の歴史と文化

栃木県の中部に位置する宇都宮市。

宇都宮の歴史は古く、
皇室系譜で第十代の天皇とされる崇神天皇(すじんてんのう)が、
蝦夷討伐のために足を踏み入れたことが始まりだといわれています。

紀元前の話ではありますが、崇神天皇(紀元前148年~紀元前30年)は、
歴史上実在の可能性が高い天皇とも呼ばれており、大和政権の基盤を作ったとされています。

この頃はまだ「宇都宮」と呼ばれておらず、周辺に沼や大きな池があったことから「池辺郷(いけのべごう)」と呼ばれていました。
その後、池辺郷の人々は崇神天皇を祀った「二荒山神社」を創立し、その門前町が栄えます。
この二荒山神社の社号が「宇都宮」といい、平安時代の後期に下野国(現:栃木県)を地盤に活躍した藤原宗円(ふじわらのそうえん)が、「宇都宮」を氏とし、このことから「宇都宮」という町が生まれました。

二荒山神社は地元の皆さんには、お宮参りや七五三でお馴染みの神社、
KIMONO しゃなりからも歩いて5分ほどの場所にあるので、記念日には着物を着て参拝される方も多くいらっしゃいます。

江戸時代~明治時代の宇都宮

そして、宇都宮は江戸時代には城下町として栄え、参勤交代や日光東照宮の建築等により人の行き来が多く、「小江戸」と呼ばれるほど繁栄しました。
また、は奥州街道沿いの町人町(ちょうにんまち)で、多くの商家や旅篭屋が軒を並べ、宇都宮城下の商売の中心地として賑わいました。

廃藩置県後、明治17年には宇都宮に栃木県庁が置かれ、明治22年に町制、明治29年に市制が施行されました。
この時代も江戸時代から引き続き政治・経済の中心地として栄えていきます。

昭和以降の宇都宮

その後昭和に入り、第二次世界大戦で宇都宮大空襲に遭い、旧市街市の半分以上が焼け野原となる甚大な被害を受けましが、
宇都宮は戦後にいち早い復興を遂げ、栃木の中心、北関東の中核都市として栄えていきました。

この時市民の希望となったのが、今でも市役所近くにある「旭町の大イチョウ」。
このイチョウは空襲を受けて黒こげになりながらも立ち続け、終戦の翌年には新芽を芽吹かせ、当時の市民に大きな希望を与えたといわれています。
樹齢約400年とわれており、今でも宇都宮のシンボルとして愛されています。

その後、昭和・平成と近代的な商業都市として発展し、
平成8年には宇都宮市が市制100周年を迎え、平成19年3月31日に上河内町および河内町と合併し、北関東初の50万人都市となりました。

「KIMONO しゃなり」と宇都宮

この歴史ある「宇都宮」で明治元年(1868年)より、地域のお客さまとともに歩んできた「KIMONO しゃなり」。
2018年には創業150年という大きな節目を迎えることができました。

これからも、「お客様の笑顔に寄り添う着物専門店」として安心してご来店いただける店づくりをお約束いたします。
先代から受け継がれてきた着物の文化を守りつつ、現代でも多くの人に親しんでもらえるよう日々仕事に取り組んでまいります。

七五三や成人式、人生の大切な節目のお衣装選び等、着物に関するお悩み事はなんなりと「KIMONO しゃなり」にご相談くださいませ。