着物の雑学③

このコーナーではきものにまつわる雑学をご紹介していきます。
きものから生まれたことわざや習慣は身のまわりにたくさん。
その意味を知り、ルーツをたどることで、きものがより身近な存在になるのではないでしょうか。

~糸に関係する雑学~

下手の長糸、上手の小糸

裁縫をする時、何度も糸通しをすることを面倒に思って糸を長くとると途中で糸がもつれたりして手間取り、結局時間をかけることになってしまいます。それに対し、裁縫の上手な人は適当な長さの糸を針に通して器用にこなします。ここから転じて、上手な人ほど仕事に無駄がないことを意味するようになりました。

くだを巻く

糸を紡いだ糸繰り機が由来の言葉。糸織り機は、繭や綿などから糸を紡いで縒り合わせ、くだ(管)に巻きつけて使いますが、糸車を回すと管がうるさい音を立てます。酒に酔った人がとりとめのないつまらない話をくどくどとする様から管の立てる音を連想させ、このように言うようになりました。

真綿

玉繭やくず繭などは、繰糸による糸の引き出しができないため、煮てセシリンを除き、綿状に伸ばして真綿にします。こうして作られる真綿は丈夫で軽く、保湿力があることから防寒に使われてきました。また、真綿を少しずつ引き出して手で撚り合わせて紡いだものが紬糸で、結城紬などの紬織物に使われます。高価でも紬に普段着のイメージがあるのは、かつてくず繭から作られていたためです。「真綿に針を包む」という言葉は、表面は優しいが、内面は意地が悪く敵意を抱いていることのたとえとして使われます。

糸目を付けない

糸目とは、凧をあげる際にバランスをとるため、表に付ける糸のことです。この糸を付けることを「糸目を付ける」といいました。この糸がないと凧はバランスを崩し、制御できなくなってしまいます。そこから、物事をするのに何の制限も加えないことを「糸目を付けない」と言うようになりました。つまり、「金に糸目をつけぬ」とは、お金を無制限に出し、惜しまないことを意味します。

共(友)白髪(ともしらが)

婚礼の印に取り交わす、結納の際、麻糸を束ねて白髪に見立てた品物を贈りました。「夫婦が白髪になるまで仲良く長生きをするように」との願いを込めた縁起ものです。長寿と夫婦円満の象徴で、西日本では高砂人形を一緒に贈ることもあります。

糸を引く

見物人から見えないよう、陰で糸を引っ張り、操り人形を動かすことから生まれた言葉。裏で指図をして他人を操ることをいいます。
糸を紡ぐこと、何かの影響などが長く続いて絶えないことなどにも「糸を引く」という言葉が使われますが、操り人形とは関係がありません。

手繰(たぐ)る

「糸を手繰る」などというように、両手を交互に使って綱やひもなどを自分の方に引き寄せることをいいます。「引く」には、自分の元へと引き寄せる意味がありますが、「手繰る」は一つひとつ元へたどるという意味が含まれ、「記憶を手繰る」のように、記憶や話の筋などを少しずつ思い出しながらたどることをいうようになりました。

糸口

緒(いとぐち)とも書きます。巻いてある糸の端のことをいい、緒から引いていくと糸がするりと取り出せるようになることから、物事の手始め、手がかりという意味で使われるようになりました。

綜麻繰(へそくり)

現在では「臍繰り」と書き、内緒で貯めたお金のことを指しますが、かつて農村の女性たちが行っていた内職に由来します。麻糸をかける道具を「綜(へ)」といい、綜をかけた麻糸を操り糸巻きにしていくことを「綜麻繰」といったのです。山内一豊の妻、千代は綜麻繰が上手だったと伝えられています。その収入を鏡の裏に貯え、そのお金で名馬を買い夫の活躍に一役をかったそうです。

琴線(きんせん)に触れる

琴線とは、琴に張った糸のこと。何ともいえない音色を発することから、心の奥の感じやすい心情を動かし、深い感動と共鳴を誘うことの例えとして「心の琴線に触れる」などと使われるようになりました。その反対を意味する言葉としては「逆鱗(げきりん)に触れる」。逆鱗とは竜のあごの下にある一枚の逆さに生えた鱗のことで、ここに触れると普段おとなしい竜が怒り、必ず殺されるという伝説が由来で、目上の人を激しく怒らせる意味で使われます。

よりを戻す

糸や縄などに使われる繊維はとても細く、そのままでは糸として使えません。何本かを束にしないことには、ばらばらで扱いにくいものです。この繊維の束をねじり合わせると丈夫な一本の糸ができあがります。このように、ねじり合わせる作業を「よりをかける」といいますが、そのよりがかかった状態を元に戻すことを「よりを戻す」といいます。そこから、元通りの関係に戻すことをそういうようになりました。

快刀乱麻(かいとうらんま)

「快刀乱麻を断つ」の略。快刀は切れ味の良い刃物、乱麻はもつれた麻糸のこと。麻は茎がまっすぐに伸びてとても強いため、茎の皮から繊維をとるなどに使われてきました。この麻糸が絡まりあうと簡単にはほどけません。それを刃物であっさりと断ち切るように、複雑にこじれて混乱している問題をあっさりと解決することをいいます。

その場を繕う(そのばをつくろう)

「繕う」とは、きもののかぎ裂き(釘などに引っかけてできる裂け目)などの箇所を縫って補修すること。転じて、整えて格好をつけることを意味するようになり、そこから派生して、見かけだけ体裁よく整えたり、問題にぶつかった時、上手に言い訳をしてなんとか逃れることを「その場を繕う」というようになりました。あくまでも、その場逃れのためであり、適当にごまかすと後でほころびが生じることもあります。

~体の部位、足に関係する雑学~

一肌(ひとはだ)脱ぐ

「片肌(かたはだ)脱ぐ」ともいい、きものの片袖を脱いで、一方の肩をあらわにすることをいいます。ひと仕事をする時に、片肌脱ぎになるところから、本気になって他人のために力を貸すことをいうようになりました。また、「諸肌(もろはだ)を脱ぐ」とは上半身全部を脱ぐことをいい、全力を尽くして事にあたることを意味します。

足駄を履いて首っ丈

足駄とは、雨の日などに履く高い歯の下駄のこと。また、首っ丈は足元から首までの高さのことで「首丈」が転じた語。「足駄を履いて首っ丈」とは、せっかく足駄を履いて背が高くなったのに、ずぶずぶと首までどっぷり浸かるほど相手に惚れて夢中になるということを意味するようになりました。
「首っ丈」の強調形として使われます。

肩身が狭い

奈良時代以降、男子の成人を示す儀式として元服がありました。その元服までは、きものを大きめに仕立て、肩幅を狭くして着ていました。成人するまでは「まだ一人前ではない」という元の意味から、他人に対して引け目を感じ、世間に対して面目が立たないことやその場にふさわしくないことを「肩身が狭い」と使われるようになりました。

肩を入れる

着物から肩の部分を出していたのを入れること。和服の袖から腕を抜いて上半身の肌をあらわにしていた者が着物を着ること。また、何か物を担ぐためにその物の下へ肩を当てることを「肩を入れる」といいます。そこから転じて、加勢すること、味方することを意味するようになりました。同様の言葉に「肩を持つ」があります。

胸ぐら

衣服の胸の部分。もともとは、和服の左右の衿が重なる部分をいいました。衿が重なることで他よりも盛り上がっていることから、漢字表記では「倉」「座」を使います。
胸ぐらを表した言葉として、「むながら」「むなづから」「むながらみ」など複数が存在しますが、比較的古くから見られた「むながら」の「がら」は外皮・外殻などを意味する「カラ(殻)」であり、これが変化して「ぐら」になったという説も有力です。

尻を捲(まく)る

着物の裾を捲って座り込むことが語源となっています。転じて、それまでの穏やかな態度を変えて急に威嚇するような態度に出てけんか腰になる、また居直るなどの意味で使われます。

足が出る

着物を作る時、生地や仕立てが計画的に行われず、仕上がったら寸足らずで足が出てしまったということから、予算内できちんとしたものを作ることができないという意味で使われるようになりました。また、お金は世の中を駆け回ることから、「お足」と呼ばれた時代があり、このことから計画していた予算がオーバーしてしまうことを「足が出る」と言われるようになったという説もあります。

地下足袋

西洋人の履くゴム靴にヒントを得てゴム底の足袋を思いついたのが起源でした。日本で、ブリジストンの前身の日本足袋が初めて売り出したとされています。履物を履かずにじかに土を踏む足袋であること、そして三池炭鉱の抗夫が最初に使用したことから、地下で使う足袋「地下足袋」になったという説があります。

下駄を預ける

人に下駄を預けると、返してもらうまでは自由にどこへも行けず、あとは預かった人の心次第で自分はじっとしているしかないことから、相手に物事の処理や責任などを一任することを「下駄を預ける」といいます。物事の処理を引き受けることは「下駄を預かる」。相手を信頼して任せるという意味で使うのは誤りです。

下駄を履くまで

すべてが終わって帰るために下駄を履くまで結果は分からないということが略されて、「勝負は下駄を履くまで分からない」など、最後の最後まで、物事が終わるまでという意味で使います。ちなみに、「下駄を履かせる」というのは、下駄を履くと背が高くなることから、下から押し上げるイメージで、価格を高く偽ったり、試験などの点数を水増しして実際よりも多く見せることをいいます。

二足のわらじ

「二足のわらじを履く」が略されたもので、江戸時代に博打うちが一方で博打をしながら、役人をした(取り締まる側と取り締まられる側を兼ねた)ことをいいました。そこから、両立しない二つの種類の仕事を兼ねることを指すようになりました。もともと、わらじは仕事によって履き分け、博徒用には普通のわらじ、役人として勤める際は白い鼻緒のついた御用わらじを履いていました。

草鞋銭(わらじせん)

草鞋を履くは旅に出ること、草鞋を脱ぐは旅を終えることを意味し、草鞋銭は草鞋を買うほどのわずかなお金のことをいいます。わずかな旅費という意味でも使い「草鞋銭にもならぬ」などと使います。

雪駄(せった)

草履と雪駄は同じものと思われがちですが、正式には草履の裏に革を貼って防水機能を備えたものを雪駄といいます。傷みにくく丈夫で、湿気を通しにくいという特徴があります。雪の日に水気が湿り通らないように考え出されたもので、「雪踏」とも書かれ、現在では「雪駄」が一般的となっています。男性が着物を着る際、雪駄を履くことが多いですが、80年代ごろにはビーチサンダルを「セッタ」と呼ぶことも多くなりました。